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わかるということ [所長の部屋]

 区内のなかまの施設の広報誌が届きました。前号に続き、施設長のコラムがナイスでした。タイトルは『We Shall Overcome, We Shall Overcome someday』。以下無断引用です。

 

   ―「わかりやすい」ことは良いことだ。「わかりにくい」より「わかりやすい」方が、良いに決まっている。しかし、「わかりにくい」=ダメなもの、ということではない。

「障害者自立支援法」では、106項目の質問に答えるだけで障害程度が判定されるという、それは「わかりやすい」システムだった。しかし、障害の重さをはかるだけでは、生活の困難さや支援の必要度をはかることはできない。人間が生きることや、幸福を実現するということは、そんなに「わかりやすい」ものではない。― 

 

すっきりと、わかりやすい文章。いちいち腑に落ちます。

われわれはいつも、「わかりたい」と切に思いながら仕事をしています。個々のメンバーのこと、『支援』ってなんなのか、『自立』ってなんなのか。簡単な問いは一つもなく、雲をつかむように答えを探す日々。

「わかった」というのはたいていの場合「わかったと認識する」ということで、それはつまりちょっと意地悪な表現をすれば「わかったつもりである」ということになります。 その文脈でとらえると、「わかりたい」という思いっていうのは実は「わかったつもりになりたい」という願望に過ぎないのではないかと思ったりもします。さらに意地悪な言い方をするなら“分からないままで何かをするのは不安で自信が持てないから、何か(時には『原則論』であったり『最新の知見』であったり)をよりどころにして「わかったつもり」になることで安心したい”という願望。

もちろん、「わかりたい」という思いは支援者として仕事をする上では非常に大切で、考えたって結局わからないから、と最初から投げてしまっていては支援者としての質の向上は望むべくもありません。けれど一方で、わからない、答えが出ないというしんどさから逃れたくてわかったつもりになれば、それもまたひとしく支援者としての質の向上から離れてゆくことになります。

わかりたい、わかっていたいという願い、わかるかもしれないという希望。それを抱きながら、結局わからないという虚無と腐らずに向き合うことが、欲を言えばそれを奥深さという魅力ととらえることが、支援者として求められる姿勢なのではないか。そんな風に感じます。

 

 ―「社会福祉」の目的は、直接かかわる利用者の幸福そのものであると同時に、その実現を通して社会を変えることだ。言葉にするのは簡単だが、とても難しく、そして「わかりにくい」。-

 

 そう。世の中を変えるんです。ほんのちょっとずつ。

 

しかし、Bob Marley→Joan Baezときて、次はどんなネタでくるんでしょうか(Bob Marleyの記事はこちらを)。 

 

 


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コメント 3

荒木 傑

nice!
かっこいい、広報
同感
利用者のことをわかっているという職員を
僕は信用しません
自分の妻も、自分自身もどこまでわかっているかわからないのに
わからないからこそ努力して
アプローチの数を増やすのです
アプローチの幅の広さと
そこに至る失敗の数こそが
プロフェッショナルの証しなんだと信じています
by 荒木 傑 (2012-07-16 09:28) 

第2しもごう

荒木さん、コメントありがとうございます。いいでしょ。かなりROCKな人物ですよ。

FLIPPERS GUITARの曲に“わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ”っていう一節がありました。青春のころにはそのシニシズムで行き止まりでしたが、オッサンになってみて、その先にこそ途があると。

ビバ中年。
by 第2しもごう (2012-07-17 15:22) 

荒木 傑

激しく同意
フリッパーズって
同級生を実感しました
そう
20歳台の頃なんかより
僕はずっとタフだし、楽しいし、前向きで
かっこいい
そう信じて
愛し愛されされ生きてます
by 荒木 傑 (2012-07-18 10:03) 

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