残念なニュース [時事]
木曜日、梅雨空の戸塚。今日は外食に行きました。徒歩10分ちょっとのガストまで、イチかバチかみんなで傘を持たずに出かけましたが、帰り道にちょっとだけ降られました。
先日の新聞に、非常に残念なニュースがありました。新潟県三条市で73歳の母親が50歳の障がいのある息子を殺して自らも命を絶ったというニュース。
総合支援法ができ(あんまり評価できませんが)、虐待防止法や差別解消法ができ(同)、『バリアフリー』とか『共生社会』とかいう言葉が市民権を得て、でも一方でそういうことと並行して依然としてこのようなことがなくならない。
昨日の夜、活動ホームしもごうで市作業所連絡会のブロック懇談会が行われ、【障がい者が地域で暮らす中で困っていること】というテーマで意見交換がありましたが、その議論のなかでも、障がい児者やその家族にとって生きやすい社会には程遠い現状があるという感覚が強くありました。
じゃあどうすればよいのかっていうのを考えて実行していかなければなりません。『こうなればよい/こうすればよい』という方向性や方法論を見出すのは難しいけれど、『これはいけない』 と断言できることがあります。孤立です。
障がい者支援を語るときにしばしば用いられるキーワードに『自立』という言葉があります。自立っていうのは嫌になるぐらい抽象的で、恣意的に色づけしてしまうことができる、厄介な言葉/概念で、ややもすると独立独歩が尊いみたいな文脈で理解している人がいたりして(厚労省や財務省あたりはそういう人の人口密度が高そうな気がします)、なんだかなあ、と思ったりします。そういうのは人を孤立へと導く文脈だと思います。人を孤立へと導く『自立』観とは対立してありたいと思います。
個人的には『自立っていうのはたくさんの人やモノやことにうまいこと依存することだ』と思っています。自分自身も家族や友人や仕事やサッカーや山歩きやサーフィンや夜遊びや、そのほかいろんなことに依存しています。
ではお前は自立しているのかと問われると答えに窮するわけですが…
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