おすすめの本 [所長の部屋]
月曜日、なかなかあったかくなりません。でも梅はあっちこっちで咲いています。
なかなか面白い本に出合いました。
福祉とは全く関係ありません。筆者は大田区の町工場で旋盤工として長く働きながら執筆を重ねた人で、他にも『ものづくりに生きる』『春は鉄までが匂った』など、タイトルからしてページをめくってみたくなる著作がたくさんあります。
『障がい児者を支援する』というのは固有の意義や目的を持った営みのような側面もありますが、その現場にいるスタッフはそれを職業として選んだひとりの『働く人』でもあるわけです。つまり、メーカーの営業さんと同じように(営業力やプレゼン力が要求される場面は結構頻繁にあります) 、バスの運転手さんと同じように(運転はけっこう必須に近いかも)、野球選手と同じように(体力!)、コンビニエンスストアの店員さんと同じように(なんでも屋?)、お笑い芸人と同じように(これが一番近いか!?)、社会のなかに固有の立ち位置をもっている社会人です。そう考えたときに、筆者が『働くという営為』に向けるまなざしの厳しさや温かさから、われわれが仕事をする上でも学ぶことがたくさんあります。
“熟練工の特質は、腕の器用さではなくて、仕事を見る眼にある。部分ではなく全体を見る眼を持っている。仕事の奥行きを見る眼を持っている。仕事に取り掛かる前に、その仕事をするためにはどんな注意が必要か、どこが急所か、どんな道具を用意すべきかを見抜く眼を持っている”
これはNC旋盤という精緻な工作機械で難しい形のものを削る技術について書かれた一節ですが、まるまるそのままわれわれの仕事にも当てはまるような気がします。
“恥をさらすことなしには生きられないのが現場というものだろう。恥をさらすことができることができるのが現場であり、そういう現場だけが職場と呼ぶにふさわしい”
う~ん。確かに。
余談ですが、筆者は町工場が軒を並べる大田区に生まれ育ち、10代半ばから旋盤工として働き始めた、筋金入りの職人さんで、履歴書的にはいわゆる高学歴とかインテリとかではありません。でも、その文章は匂い立つような美しさで、工場で使われている職人用語から日本人の神話的由来を洞察するような知性と教養の持ち主です。なんとなく、学校にも行かず季節労働者として中西部を放浪した末にカリフォルニアで港湾労働者として働きながら数々の著作をものしたアメリカの哲学者エリック・ホッファーにも通ずるような気がします。労働と思索に人生を捧げた人だからこそ語れる言葉があるのだと思います。
エリック・ホッファーの本もそのうちとりあげてみよう。
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