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『防災』とは? [所長の部屋]

金曜日、春を思わせる暖かい日になりました。2週に一度の外食への道すがら、あちこちで梅が咲いていました。今週は気温が上がり、あちこちに溶け残っていた雪もついに無くなりました。

先日、戸塚駅近く、ちょうどメンバーのみんなの通所経路の間近で火事がありました。さいわいみんな無事に帰宅できたようですが、少し時間帯がずれていたらバスが動かなくて大変なことになるところでした。

震災以降、防災についての検討が各所でなされています。とても大事なことです。

でも、防災っていうのは考えてみれば別に震災に限ったことではなく、時折襲う台風も災害ですし、こないだのような大雪も、あるいはこの市街地での火災も、『常ならざる状況によって困難が起こる』 というとらえ方をすれば同じように『防災』という観点で対策すべきことのように思えます。更に敷衍するならインフルエンザやノロウィルスなどの流行性の疾患についてどう対応するのか、事業中や送迎中の事故についてはどうなのか。やはり同様に『常ならざる状況によって困難が起こる』という点では共通しているのではないか(発想としては“同じような状態像で同じように日常生活に支障をきたすのだから難病も障害福祉サービスの対象とすべき”という志向と似ている気がします)。

日常の業務の中にはちょっとしたハプニングから甚大な被害まで、さまざまなトラブルのリスクがあります。個々の場面を想定して対策を考えるのも大切ですが、そうした個々の対策を貫く、リスクに対する根本的な方針みたいなものが必要なのかな。と、こないだの大雪の時に思いました。

 

そのまえに、とりあえず、スタッドレスタイヤを買おう。 


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予算案説明会 [所長の部屋]

木曜日、今週は曇天続き。明日はまた雪とのうわさも。

裏庭のアイツ、昨日の姿は

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今日の姿は

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健在でした。さすが。

 

昨日は横浜市の健康福祉局による来年度予算の説明会に行ってきました。

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財政難に少子高齢化、保育分野のニーズの急激な伸び(潜在していたニーズが顕在化しただけですが) などが相まって、障害福祉分野については来年度もなかなかわくわくするような予算案ではありませんでした。担当の課長・係長の皆さんとしても、ホントはもっと胸を張れる数字を持ってきたいところなんだろうな~。ニーズの自然増相当分の予算枠を確保が精いっぱいというなかで仕事をするしんどさ、お察しします。

 


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困ってるひと [所長の部屋]

ひさびさに、おすすめの本です。

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大野更紗『困ってるひと』 ポプラ社

最近、いろんなことで意見を求められる機会がしばしばあります。そのたびに、真摯に自分の考えをお伝えしているのですが、“考えてるだけで学ばないって、あやういよね”という格言もあるしな~と思い、アカデミックな世界では昨今どんなことが話題になってるのかしら、てことで、ちょっと前に、とある大学の教授にお話を伺いに行きました。区内の法人型地域活動ホームの相談員さんがその先生のゼミ生だったというご縁(ちなみに以前第2しもごうにボランティアとして来てくれていた現在ドイツ在住のイケメンも同じゼミの同期だったという、ちょっとビックリのご縁もありました)で、仲介というか同席してくださって、3時間ぐらいいろいろなお話を伺いました。 

そのときに話題になったのがこの本で、先日その相談員さんが貸してくださった、著者サイン入りの一冊。

一気に読みました。一気に。そしてすぐに本屋に買いに行きました。こういう本は自分でお金を払って買わなければ、と思って。ラッキーなことに文庫化されています。

重いハンディキャップを負って、そのうえで個として自分の生を生きる。その生が放つ熱量に圧倒されます。以前このブログでご紹介した『こんな夜更けにバナナかよ』や『カニは横に歩く』にも通ずる作品ではないかと思います。 

文中には医療・福祉関係者にとっては耳の痛い記述もたくさん出てきます。そこがまた読み応えがあります。 

おすすめです。 

 

 

 


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年度末 [所長の部屋]

一月も今日でおしまい。ちょっとあったかい陽射しがうれしい金曜日。年間最大の行事であるしもごうまつりが無事に終って、ほっとひと息。

 っていうこの空気感が毎年マズい。ここからの時間の使い方で来年度の活動のクオリティが左右されます。なし崩しに新年度に突っ込んでゆく愚を避けるためには、これからが特に大事。まして2月は日数も少ないし。ぎゅっとやっていかないと。

などというような趣旨の記事をこの時期毎年書いているような気がします。

裏の庭に今年もこいつが顔を出していました。

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ふきのとう。お祭りの準備でバタバタしていて気づきませんでしたが、季節は進んでいますね。 


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質問 [所長の部屋]

だんだん年の瀬っぽくなってきました。

昨日は本体の活動ホームに勤務する新人職員2名を対象に内部研修的なことをやりました。OJTではなく座学という形で学びの機会を内部的に作るのはほぼ初めてのことで、伝えるこちらも試行錯誤しています。

何事に対しても疑問を持ってほしい、といつもスタッフに伝えています。ホントにそうかな?とか、こういう見方もあるんじゃないの?とか、そういうふうなアティテュードは非常に大切だと常々思っています。それともう一つ、いつも質問を用意しておくこと。質問をすることは単に疑問を提示するというだけではなく、議論を動かし展開させる大きな効果があります。生涯を肉体労働と思索にささげたアメリカの哲学者エリック・ホッファーが“質問の衝動がなくなったときに社会の衰えが始まる” と書いていますが、さもありなん。

昨日の内部研修的な場面でも話の後に質問の時間をとりましたが、普段から“質問しなさいね”と言われているだけあって2名とも黙ってたらヤバいと思ったみたいで、いろいろと質問をしてくれました。

で、その中ですごく面白いな~と思ったのが“(法人型地域活動ホームの整備が終わって)次は何が増えるのか” という質問。

さて、どうでしょう。もしも横浜市内の障がい福祉関係の方が読んでおられたら、なんてお答えになりますか?

従来型活動ホームが整備され、機能強化が進み、その評価と反省を踏まえて法人型活動ホームの整備が進み、さらにその検証を踏まえて『あんしん施策』が展開されている、というのがざっくりした(し過ぎ?)俯瞰だとすると、その次にどんな展開が?と思うのはとても的を射た、(新人としては) 鋭い質問だと思います。ゆくゆくはこの質問に自分なりの答えを自分で出せるスタッフに育ってほしいと思います。答えはどこかで誰かが用意しているのではなくて当事者の中にあり、その当事者に最も近いところにいる支援者としてそれを感じ考え形にして発信することが職責なのだと思います。

もうひとつ面白かった質問、“しもごうっていま現在人手不足なんですか?”

う~ん。

みなさんなら、なんて答えますか? 


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やらないよりはよい [所長の部屋]

月曜日、裏の学童保育の庭の見事な欅の木、葉っぱがはらりはらりと散っています。

今日は区役所が主催で、特別避難場所の協定を区と結んでいる施設の連絡会がありました。協定を結んでいる施設が約40、区の担当が総務課に高齢障害担当に福祉保健課に、という顔ぶれ。例年は自己紹介で1時間かかる不毛な集まりでしたが、今年は形式がぐっとブラッシュアップされていて、情報の多い会合でした。 今年度は市・区ともに防災計画の大幅な見直しがあったので、自分たちの役割を改めて整理するうえでも情報は大事です。

しかし、会議の内容がブラッシュアップされていたのは良かったものの、近々区が計画している情報伝達訓練では14時に震度6強の震災→14時03分に区から各施設にメールで被害状況を確認するメールが届く→14時30分に各施設がメールを返信するという非現実的な想定になっているのが残念。そもそも区内全域停電という想定で、どうやってPC宛のメールを受信するんだか。 しかも“区の緊急用携帯電話のメールアドレスを使うので、スムーズに受信するために区宛の返信は時間を指定します”とのこと。

どっちかっていうと、訓練がスムーズに進むためにメールの送受信の時間帯を配慮するよりは訓練だからこそぐちゃぐちゃにした方がいいんでは。

まあ、やらないよりはずっといいんですけれど。 

 


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ネットワークこそライフライン [所長の部屋]

木曜日、台風一過で晴れました。風がちょっと冷たいです。

昨日は桜木町の健康福祉総合センターで行われた、災害時の障害児者支援についてのシンポジウムに、横浜市内の活動ホーム・作業所・グループホーム関係有志で続けている被災地支援活動TEAM3の一員として登壇してきました。壇上には昨年の11月末に被災地の現地調査でご一緒した二人の活動ホーム所長、それに被災地からお招きした障害福祉事業所のお二人(ケアホームめぐみ@気仙沼の菅原さん、ぴーなっつ@南相馬の郡さん)。後半には健康福祉局から災害時の要援護者支援を担当する福祉保健課の係長さんも加わりました。

自分にも発言の機会があり、なにをどんなふうに話そうかとあらかじめいろいろと考えていました。

でも、ふたを開けてみれば現地のおふたかたのお話に圧倒されました。できれば自分もなにか印象に残るようなことを話したいなどと小賢しいことをもくろんでいた自分のちっちゃさを痛感しました

台風で電車ダイヤが乱れまくっていて(わたくしも鎌倉の自宅から会場まで2時間半かかりました) 申し込みされていた方の半分程度しかお越しになれなかったようで、それでも関係者含め100人近くが参加したシンポジウムでした。企画からずっとかかわってきましたが、やってよかったです。

そして、あらためて災害はまだ終わっていないことを強く感じました。

 つながった縁を大切に、これからも応援してゆきたいと思います。“ネットワークこそ最も重要なライフライン”。2006年の中越沖地震の時に柏崎で聞いた言葉を思い出しました。

そして夕方は社会福祉法人クローバーが主催の計画相談についての研修会に参加。計画相談支援の事業を実施している東戸塚の活動ホームひかりの相談員さんを講師に、しもごう・第2しもごうからは6名が参加させていただきました。区内のいろいろな法人・事業所から来られた皆さんと机を並べて学ぶひととき、“計画相談をサービス量抑制のツールにしてはならない”。よい学びの場でした。

周りのテーブルをきょろきょろしながら、“ネットワークこそライフライン”という言葉を思い返していました。

 

おまけ。

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昨日の虹。

 

 


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福祉のまちづくり条例について [所長の部屋]

木曜日、今日は市の作業所連絡会の定例会に出席してきました。

去る7月に新しい福祉のまちづくり条例の施行令が発表され、来年1月1日から施行されることになり、それについて市の担当者からの説明がありました。

街のバリアフリー化を進めることについては大賛成です。そのうえで。

無認可の作業所時代のハードがバリアフリーの観点に照らして不適合な箇所がある。そのことは必要に応じ改善すべきだと思います。 そのうえで。

 

新しい福祉のまちづくり条例が適用されれば、資金力のないNPO法人が新しく事業所を立ち上げるのは非常に困難になります。地域活動センターしかり、グループホームしかり。

これから養護学校や特別支援学校の卒業生が増えてゆくこと、そしてその中のかなりの割合を軽度/発達障害圏の方が占めていることについては以前のブログに書きました。

日中の場としても、生活の拠点としても、そうした方々が地域で過ごす場所を増やしてゆく必要がある。そのことについては市も認識しているはずです。そのような状況で、新規に事業所を立ち上げることのハードルを上げるというのは、いかにも理にかなっていないと思います。そのような(いわゆる“軽度”の)方々の活動場所として原理主義的に福祉施設という枠組みでハード面のバリアフリー化を義務付けることも同様に理にかなっていません。 

もちろん、市がわざわざ新規時の事業所を作りにくくする目的で条例を改正したとは思っていません。しかし、現実的には『福祉のまちづくり条例』という決まり事ゆえに障がい者の活動場所や居住場所が確保できなくなりかねない。なんとも皮肉な状況です。

このような規定を作ったら、それが現場にはこういう影響を及ぼす。そのようなことを市の担当者の皆さんは考えたのでしょうか。おそらく考えたと思います。ではなぜ考えたのにこのようなことになるのか。現場のことを知らずに考えているからではないでしょうか。また、担当部課である健康福祉局と建築局の意思疎通はどうだったのでしょうか。

“条例改正の際にはパブリックコメントを実施しました”との説明もありましたが、パブリックコメントをやりますよ、という周知が十分になされていないパブリックコメントに集まったコメントははたしてパブリックなコメントと呼べるのでしょうか。インターネットで市のホームページを見なければ(見てもすぐには)見つからないパブリックコメントでに、当事者や家族の声が届くとは思えません。バリアフリーについての制度をめぐるパブリックコメントにバリアーがあるっていうのもまた皮肉な話です。

作業所・活動ホームのことではありませんが、この改正によってさらに大きな影響をこうむりかねないのがグループホームです。というか、正確には大きな影響が危惧されることに気づいたグループホーム関係者が最初にこの問題に声をあげたわけですが。特に、建築用途が従来の共同住宅/寄宿舎から福祉施設に編入されることで、ただでさえ厳しいグループホームの新設が事実上不可能になるとも言われ、“とにかく年内(新しい条例が施行される前)に基礎だけ打っちゃえば”なんて声もあったとかなかったとか。結局、障害者のグループホームは1000㎡に満たない場合に限って従来の用途で、ということになったようですが、これとて当事者が声をあげなければどうなっていたことか。そもそも、グループホームに住んでいる人は入居者。入所者ではありません。グループホームはミニ施設ではなく、暮らしの場です。共同住宅であるか福祉施設であるかと言ったら断然前者です。すくなくとも思想としては。そういう思想とかに、市の担当者は思いが至っているのか、いないのか。

ちかごろ、制度や政策の企画立案を担っている人たちに現場感覚や当事者感覚があまりに欠けているんではないかと思うことがしばしばあります。現場感覚や当事者感覚がないまま(あるいはその感覚に基づいた意見に耳を傾けないまま) 制度や施策を推進しても、当事者の思いに応えることはできないはずです。どうせ制度や施策を推進するなら、当事者の思いに応えられるものを、と思いますが、どうも近頃の局の担当者諸氏は漠然とした“思い”よりも数字が根拠のようで。

で、そんな局が最も力を入れて推進しようとしているのが『将来にわたるあんしん施策』 。

『あんしん』って…

めちゃめちゃ漠然としてるじゃん…

しかも、こないだ市作連役員と局との懇談会では担当の課長が『漠然とした不安に応えていきたい』って言ってたし… 

で、具体的な話になると“思いではなく数字を”って… 

的な話で盛り上がる活動ホーム所長連中(個人を特定できないよう画像を一部修正しています)。

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小規模な事業所が立ち行かなくなってゆく、その果てに“当事者・家族のニーズを汲んで大規模な入所施設を増やしましょう”的な結論が待っているのでは。そんな勘繰りすらしてみたくなる今日この頃だよね~、的な。 

市の説明はハテナだったけど、思いや問題意識を同じくする仲間がたくさんいることを再確認した、いい時間でもありました。 

 

 


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どっちがいいのか [所長の部屋]

よく眠れて、右も左もおいしいものばかりの季節になってきました。

今朝の新聞にこんな記事が載っていました。

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色覚検査が廃止されたことで、①検査を受ける機会がない→②自分が色覚異常であるという自覚がない→③なんかおかしいかな~と思いながら育つ→④なんかのきっかけで検査を受けて異常を知る→⑤ガビ~ン! というようなことが起こっている、という内容でした。だいぶ端折りましたが。

 このロジック、障がい福祉関係の方ならすぐにピンとくると思います。そう、自閉症スペクトラムのはじっこやLD、ADHDなど発達障害と総称される状態像の方が経験されてきたことと極めて似通っています。

昨夜、市の作業所連絡会の役員会があり(今年度は役員を仰せつかっております)、そのなかで、今後養護学校・特別支援学校の卒業生が大幅に増えてゆくことが見込まれており、その卒業生の皆さんが地域で活動するための場所(つまり作業所とか活動ホームとかその他の障がい福祉サービス事業所)の不足が懸念されているという話題がありました。 そして、この“急増する卒業生”のうち一定の割合を発達障害圏の方が占めていると。

発達障害圏の方が増えているというのは業界の至る所で語られています。特別支援学校も小学校の個別支援級もいっぱいだ、とか、普通級の児童の6%程度は発達障害圏の疑いがある、とか。そして、その急増の要因として発達検査の精度が上がったこと(発達障害という概念そのものが浸透したこと)が挙げられています。“昔だったら『ちょっと変わった子』ってことで普通級にいたよね”なんて言葉をよく耳にします。

色覚検査についてはこれとは全く逆のことが起こっているようです。検査をやめた故に自分の色覚異常を自覚することないまま成長し、何かの折にその事実を突きつけられて戸惑う、と。

さて、これはいったいどちらがいいのでしょうか。

この記事のなかで、色覚検査をやめたのは・検査が社会的差別につながりかねないこと・色覚に異常があっても社会生活上の支障がない人が多いこと が理由であると書かれてます。

検査を緻密にして専門的な支援を組み立てるのか、選別を避けておおらかな包摂にゆだねるのか。どっちがいいのかについては意見百出です。でも、乱暴にまとめてしまえば要するに大事なのは差別されることなく支障なく生きることで、そのためには支援も包摂もともに大切にすべきと思います。この件に限らず、この『どっちがいいのか』の迷路に迷い込むことがありますが、そういうときは目指すべきもの/ことにきちんと注目することにしています。そうするとだいたいの場合は択一ではなく両にらみで行くべきなのだと気づきます。(包摂ってい言葉が正しいのかどうか自信がありませんが、要するにあたりまえにともにある状態になることです)

 

実は(などともったいぶるほどのことでもありませんが)わたくし色覚異常です。信号の赤と黄色は怪しいし、小学生の時には隣の席の憎からず思っていた女の子と漢字テストの答案を交換してマルつけしたときに時に赤と思って茶色の色鉛筆を使ってしまい大泣きされるというイタいできごともありました。こういうことを経験するにあたってはやはり準備ができている(=自分が色覚異常であると知っている)ことは大切であったと思います。しかし一方で、それを自分で知っているゆえに自分の生業を考えるにあたって医者は無理だよな~とかデザイン関係はナシだよな~とかいうふうに自分を縛ってしまったことは今となっては間違っていたと思っています(頭の出来とかセンスからしてそもそも…という話は抜きにして)。

こんな話もあります。知り合いの女性から聞いた話です。長男が小学校に上がって初めての授業参観の時、彼の母親(つまりわたくしの知り合いの女性)が目にしたのは授業中ついに一度も目をあげることなくひたすら鉛筆で上履きの裏の溝についたごみをほじくり続ける息子の姿であったそうです。 その後彼は普通級→中学→高校と進み、結局はろくろく受験勉強もせずに東大受かったのですが、今であれば、彼はもしかしたら違った道を歩まざるを得ないのかもしれません。すくなくとも育児や発達についての情報があふれかえっているこんにち、同じ場面を目にした母親が“あら、あの上履きそんなに汚れてるのかしら。週末ちゃんと洗わなきゃ”などと鷹揚に受け止められるかどうかは疑問です。

徐々にまとまらなくなりつつありますが、要するに、何かを考えるときに“AかBか”と考えると迷路に迷い込みがちで、そんなときは“AもBも”と考えてみることが大切だなあ、と。割り切って進めれば話は早いのですが、たいていのことは極論では片付きません。 冒頭の記事も、検査はするべきかしないべきかという問いではなく『色覚異常があっても差別なく不便なく(ショックなく)暮らせるには』と問うべきなのでしょう。

しかし、色覚検査が10年も前に廃止されていたとは知りませんでした。学校の身体測定の項目から座高が外れたと聞いて、短足に悩むサッカー部時代の同級生が“いまさらもう遅いよ”とつぶやいていましたが、わたくしはなんとなく、検査を受けられたことは良かったと思っています。もちろん色覚異常と発達障害ではこうむる不利益や不便さは比べるべくもなく、同列に論じることはできませんが、発達障害であるということよりも、そのことを(本人が、はもちろんですが)社会がどのように受け止めるのか。そこを問うべきであると思います。個人に働きかけるだけが支援ではなく、むしろ社会に向かって働きかけるべきことの方が支援者としては重い任務であると、最近そう感じています。 

なんかカッコ書きが多い文章になりました。実はこの記事と同じくらい気になったのが一面隅のこちら。

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全国的に晴れ模様。これぐらいおひさまが並んでいると気持ちいいです。今夜は仲秋の名月とか。 

なにに変身しましょうか。 

 


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おすすめの本 [所長の部屋]

金曜日、今日は保育園との交流でスイカ割りをしました。裏の畑で育ったミニスイカも見事に割れて、みんなでおいしくいただきました。

いつも楽しみにしている近隣の施設の広報誌が届きました。特に楽しみな施設長コラム、これまでも何度かこのブログで取り上げてきましたが、今回のテーマは直球ど真ん中、憲法改正について。

 @憲法は国民が国を縛るのであって、国が国民を縛るものではない

 @現行憲法を押し付けの産物だとごねる人がいるが、筋違いだ

 @今の時代、暴力より話し合いでしょ。 

というような趣旨(と受け取りました)、まったくその通りです。

 

というわけで、ついこないだタイミングよく買ったこんな本をお勧めします。

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小学館『日本国憲法』 

世界に誇る不磨の大典が税込525円ポッキリ!

今の与党やその仲間たちが企図しているような改憲はお話にならないと思いますが、『改憲』っていう言葉だけで“ダメ~!”と思考停止に陥るっていうのいかがなものかと。いろいろ見解はあると思いますが、まずはきちんと通読してみるのが良いのではないかと思います。われわれ障がい児者支援に携わる者たちの拠って立つ価値もここに記されています。 

などと偉そうに書いていますが、煙草を買いに入ったセブンイレブンで偶然みつけました。最近は書店でも平積みになっています。

 

ちなみに、件のコラムは毎回タイトルがひねってあります。今回のタイトルif it's not love, its the bomb that bring us togetherは80年代ニューウェーブの宝石The SMITHと思われます。偶然昨日車のなかで新人職員(♂)とスミスの話をしたばっかりだったので、ちょっとびっくりしました。 


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